4月26日(木)、やっと天気が良くなったので自転車で嵐山にやって来た。
京都ではこの時期は「青紅葉」が美しい。
ここは、何かと有名な踏切。w
渡月橋からこの辺りの竹林にかけては、もの凄い数の外国人観光客と修学旅行生でごった返している。
私はその喧騒を避けて、嵯峨野方面に離脱。w
あの喧騒から自転車で10分も行かない「常寂光寺」がある。
ひとっこ一人いない。ww
去年は6月に「瑠璃光院」に床みどりを見に行ったな〜。
こんなに良い所なのに何で皆さん来ないのでしょうか?
あっ!修学旅行のJKが来た。
君たちはセンスが良い!
このお寺も「男道」と「女道」があるのか。
あれっ、灯篭に苔が生えてる。
屋根の部分だけ、下が新しくなっても乗せれるようになってるんだ。w
全てが緑の景色。
浅田次郎式に言うと「美の死角が無い」。
こういう場所というか文化が身の回りにごろごろある場所で育った人と、まったく文化や教養に触れることの無い地域で育った人とはどのように人生が違うのだろうか?
そんなことを考えてしまうぐらい、恐ろしいぐらいの完成された美だった。
次は化野の「念仏寺」に向かおう。
念仏寺に行くまでの道は、古い家並が続き、道がきれいな石畳だ。
ここが「あだしの念仏寺」だ。
石仏がかわいらしい。
心がほっこりするなと思っていたら。w
なんだか凄い所に来ちゃった「西院の河原」。
この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所である。
境内に奉る多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓である。
何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没したいた。
明治中期に地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。
賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられた。
西院の河原の中からの撮影禁止 外周からは一応可だそうであるが。
東アジア系の観光客は、スマホでがんがん撮ってた。w
境内の石仏・石塔は、8000体を数えるそうである。
ここは異界と現世の境目なのかも。
夜はちょっと来れないな〜。
さてさて、帰ろうか。
ここから御池の部屋まで約1時間(10km)ぐらいか。
GWに台湾ツーリングに行くのだが、その為にも少しでも体力を回復しておこう。
ランチは丸太町の「ハマムラ」でからしそば。
帰りにレジで「京都駅に出した支店より全然美味しいね。」と言ったら。
シェフが厨房から出て来て「あそこは経営が違うから、ここで作れるのは俺だけだよ。」とおっしゃってました。
謎が一つ解けた。w