経験デザインとエスノグラフィを語る私的なブログ
ベンゾジアゼピン系の依存症との闘い日誌(減薬12日目)

 おはようございます              

 6月14日(日)、病院を退院してから72日、発症してから64日目、減薬してから12日目。

 外は大雨で、気温は涼しめだが湿度は89%。

 

 昨夜22時半に寝て、途中一度起きて02時半まで、約4時間弱の睡眠。早く自然にぐっすり眠りたい。

 息が苦しく、目がチカチカ、耳鳴りが大きい。立ち上がると、足がふらつくしめまいもする。

 02時半に起きてから06時までに、もうすでに6回トイレに行き毎回沢山のおしっこが出た。それが一番怖い。

 水を飲むのが追いつかない。

 朝食は、まったく食欲が無く。今まで食べれたチーズやゆで卵も喉を通らない。

 

 今まであったIDEEのソファを、昨日新しい事務所に持って行ってしまったので。

 

 昨日午後から、アーロンチェアに座ってチェストに足を投げ出した状態で休んでいる。

 これはきつくて、早めに新しいソファを買わないといけないな。

 

 明日東京に帰るための宅急便を出しに行ったついでに、娘のマンションに寄ってみた。

 昼食にソース焼きそばを作って貰い完食。まだ食べることが出来ると勇気づけられた。

 しかし外を歩くとめまいでかなりつらい、自分の部屋まで帰れるのかと思った。

 

 14時ぐらいから昼寝を試みるが、うとうととすると咳き込むというトラウマで、目を閉じることができない。

 映画で、目を開けたままにする機械で眠らせない拷問があったが、まさにそれで。眠いのに無理やり目を閉じれないというのは拷問だ。

 15時頃から熱が上がって来て苦しくなってきた。熱や咳が出るということは離脱症状だけじゃないということだよね。

 こうなると、2年前のデパスの離脱症状の方が体が健康体であっただけに、今から思うと楽だった気がする。

 でも、今回はうかつに常用してしまったのではなく、これが無かったら咳で寝ることが出来なかったからだ。今でもそうだ。

 病の方も治さないと、何時になってもブチゾラムOD錠とは縁が切れない。

 

治療⽤量で⻑期使⽤している ベンゾジアゼピン受容体作動薬の 減量について

 

◇ベンゾジアゼピン系の依存症との闘い

2020年06月:ベンゾジアゼピン系の依存症との闘い日誌614日目(減薬12日目)

2020年06月:ベンゾジアゼピン系の依存症との闘い日誌613日目(減薬11日目)

2020年06月:ベンゾジアゼピン系の依存症との闘い日誌612日目(減薬10日目)

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posted by アサノ | 07:34 | 闘病記(外科系) | comments(0) | - |
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