経験デザインとエスノグラフィを語る私的なブログ
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朝の四間道・円頓寺商店街
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 11月20日(日)のお昼。
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 最近名古屋に来ると、ホテルでのんびり書きものをしたりして、お昼にここに来ることが多い。
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 「うなぎまぶし」
 前回「うな丼」を食べてみたが、名古屋のうなぎはカリカリに焼いてタレの味も濃いので「ひつまぶし」の方が向いていると思う。
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  相変わらず昭和レトロなお店。。
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 セミナー会場が那古野だったので、昨夜歩いた道をトレースして行くことに。
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 「四間道」
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 立ち小便禁止!
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 昼間の四間道。
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 四間道とは、道幅を四間に広げた防火道路のこと。
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 このあたりの地名は「那古野(なこの)」名古屋の語源とか。
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名古屋駅の近く国際センタービルの側を流れる堀川沿いに、古い町並みがあります。
四間道の由来ははるか300年にもさかのぼります。名古屋城の築城は慶長15年(1610年)に始まりますが、それまで尾張の中心は清洲であったため、築城後、武士・町人・寺社などが町ぐるみで移動しました。これが「清洲越し」です。
熱田の湊と名古屋城を結ぶ堀川には、水運を利用して米穀、塩、味噌、酒、薪炭などを城下町へ供給する商家が軒を連ねて繁栄してきました。
堀川は、豊臣恩顧の福島正則を中心に20の大名が普請を命じられ、商家の玄関は,物資の集散を行うため堀川に向かい,土蔵が家の裏手に作られました。
しかし、四間道は1700年(元禄13)の元禄の大火で1649軒の町屋と15の寺社が焼失してしまい、尾張藩4代藩主の徳川吉通は、商家の焼失を避けるために堀川沿いにある商家の裏道幅を4間(約7m)に拡張しました。このことから四間道(しけみち)といわれるようになりました。
名古屋港地域観光マップより引用
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 土蔵でフレンチ「四間道レストラン」。
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 「屋根神さま」町内の火除け厄除け。
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 路地の奥にも小さな祠が。
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 こういう信心と生活が密着している土地はいいね。バリ島みたいだ。w
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 路地が好き。
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 円頓寺商店街に出てきた。
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 昨夜入ってみたいと言ったお店。
 隣りがブラジル楽器屋さん。
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 いろいろなものがぶら下がったアーケード街。
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 昨夜のスペインバルは昼間も営業中。
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 お昼のバイキングをやっているようなので、看板を写そうと思ったらオバチャンがブロック。
 780円でした。人気ありそう。
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 隣りはギャラリー。
 古い商店街に、若い人たちが新しい店を開いているのが良い。
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 「はね海老」営業中。お昼はこちらで食べれば良かった。
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 金毘羅さん。
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 昼間の円頓寺銀座街。
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 何の行列。。「お好み焼き甘太郎」。
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 シュールなオブジェがぶら下がる。
 ああ、面白かった。だから知らない街を歩くのは好きだ。
posted by アサノ | 00:17 | 旅好き | comments(0) | trackbacks(0) |
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