経験デザインとエスノグラフィを語る私的なブログ
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何をするかではなく、何を考えるかのデザイン
 年度末になると「へ〜!こんなにやってたんだ。」と思うぐらい、各ゼミで外部とのプロジェクトが動いている。
 また、ゼミだけでは無く1年生や自主的な活動も含めると、以前とは比べものにならないぐらいの数が行われているのにビックリする。

 これも「体験的な学習」への取り組みの成果かとは思えるのだが。若干、喉の奥に刺さった小骨のように気になることもある。
 それは何かというと、指導している教員や取り組んでいる学生が異口同音に言うのは「外部の人間とコミュニケーションをとりながら、制作することの困難さを体験する。」ということだ。
 以前は、学生がノイローゼになりそうになって頑張っていたのだが、最近は相手が全くの素人で何でもスルーのプロジェクトも多い。
 となると、一体何を学ぶために多くの時間を割いてプロジェクトを行っているのだろうか。
 そういうことを思っていた時に、上平先生がTwitterで同じ大学の望月先生のブログを紹介されていた。ちなみに望月先生は若手気鋭の教育工学の先生です。

http://www.mochi-lab.net/2012/01/06/01-3/  より抜粋
 情報という教科の場合、多くの熟練した先生方は、一足早く「教え込み型」から「学習支援者型」への脱皮を図っているという印象も受けました。自分が言葉で伝えて教え込むよりも、何かの活動を体験させて、あるいは実習や実験をさせて、そこに気がつくことを生徒たち自身に考えさせるというやり方を一生懸命考えていらっしゃる。

 でも本当に大切なのは、活動の体験や実習・実験の手続きではなく、その後に行われる教師の働きかけです(もちろん、発問というカタチだったり、ワークシートへの記入だったりといろいろな形態はあるが、生徒自身が考えるというやり方が普通でしょう)。しかし、多くの発表では活動のカタチに焦点があたって説明がされているように思われました。

 生徒が主体的に取り組む学習活動自体は、否定されるべきことではないのですが、でも、そこで教師がやっていることは、本質的には”何をするか”のデザインではなく、”何を考えるのか”のデザインであるべきです。そこで子どもたちがどのような思考を働かせて、どのように学びを深めるかをデザインすることこそが教師の仕事として重要で、そのためにどのような働きかけを教師がしているのかということこそが、こうした場で共有するべきtipsとして大切なのではないかな、と思いました。


 私はあまり頭が良くないので、人が言い表してくれると「そうそう、そういうことだよ!」と思うことが多々あるが、これもそういうこと。
 学習とは「何をするか」ではなく「何を考えるか」をデザインしなくてはいけないのだ。
 死に物狂いで頑張った結果が「達成感」だけじゃ、教育の敗北だよね。
 ついつい「何をするか」に陥りそうになる自分にも自戒を込めて。
 最初の学習設計(デザイン)と、事後のタメが大切なんだよね、考える為の間が。

◇随分前に自分でもこんなこと書いてました:親学問の不在
posted by アサノ | 00:06 | その他の授業 | comments(0) | trackbacks(0) |
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