2013年 こども行動観察ラボ 第1保育園5才児05回目 わたしは ぼくはなにでできている?2
2014.01.14 Tuesday

1月8日(水)、昨年末以来会っていなかった子ども達と再会。w

昨年「成城ナーサリィスクール」の美術教育へのオマージュとして始まった「わたしは ぼくはなにでできている?」の2回目。

こらこら、そこは色を塗るところじゃないぞ〜。

脳が体を支配しているのではなく、体が脳を支配してるって知ってました?
例としては寒い冬にスポーツジムに行きたくなくて、やる気が出るまで待っているといつになっても行かないのに。無理矢理行って体を動かすと俄然やる気になるみたいなこと。
例としては寒い冬にスポーツジムに行きたくなくて、やる気が出るまで待っているといつになっても行かないのに。無理矢理行って体を動かすと俄然やる気になるみたいなこと。

創造的な行為も同じで、狭苦しいところでウンウン考えてもダメで。
大きな作品を工事現場のように作業すると、あら不思議で創造力が活性化するものだ。

頭を働かそうと思わないで、思いっきり体を動かした方が良いというのは美術大学で教わったこと。

知的な行為には身体性が大切なのである。

人の真似をする子は一人もいない。

というか、紙とクレヨンとの格闘で、他人を気にしている暇なし。ww

更に言うと、よく子どもが「終わりました。」と自己申告するとそこで終わらせてしまう指導者がいる。多分、飽きて騒ぎ出すのが嫌なのだろう。
これは大きな間違いで、そこから5分間でもいいからエイヤッ!と描き込ませることが重要だ。(基本的な考え方として、美術作品には最終的な完成は無く、その段階段階の完成度があるだけ。例:ミケランジェロのピエタはどれもその段階の完成形)
すると次の時には、そこまでは描けるようになって「終わりました。」と言うようになる。w
そうしたら、また更に5分でもいいからまた描かせる。
そうやって一歩一歩1分1分自分の限界を高めて行くと後戻りはしなくなり、その子の知的行為の限界が高まるのだ。
子どものやりたいように任せるというのも一つの考え方だと思うが、その子の後の人生を考えたら場合によっては多少「無理にでもやらせる」ということも大切なのである。

およよ、終了5分前に紙を巻いて遊びだした。

面白い事を考え出したものだ。
めちゃくちゃ楽しんでいる。

全員が一緒に大騒ぎ。
何かのパフォーマンスみたいだね。

こういうことは面白いから許す。
この狂騒状態の中でも絵を描いている子がいた。それもよろしい。w

はい!汚したところはお掃除しましょう。

彼らにとっては、これも楽しいらしい。w
今回の写真はCanon EOS KissX2にEF28-135mm F3.5-5.6 IS USMレンズを着けて撮りました。
第04回11月20日:わたしは ぼくはなにでできている?
第05回01月08日:わたしは ぼくはなにでできている?2