経験デザインとエスノグラフィを語る私的なブログ
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上野谷中墓地で墓参り

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 3月26日(土)、三分咲きの桜の上野谷中墓地。
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 先週のお彼岸にはばたばたしていて、出来なかった墓参りに来た。
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 私の母方の祖父は、神谷バーの神谷傳兵衛と組んで「蜂印香竄葡萄酒(ハチブドー酒)」を作った人の一族で。
 販売を担当して、日本では一番初期のマーケティングや広告戦略をやった「近藤利兵衛」といいます。
 近藤利兵衛は三代続いて、祖父は三代目。
 初代は白井遠平といい福島県いわき周辺の開発を行った人で、二代目の曽祖父お墓も谷中にあるそうですが、行ったことは無かったな〜。
 祖母は、当時「北のウォール街」と言われた小樽の出身で、祖父と出会ったのは上海だそうだ。
 晩年は没落して祖母と二人で暮らしていましたが、一軒家に住み込みの女中さんが二人いた。
 子どもだった私は、祖父の家に遊びに行くと多分田舎から出てきたばかりの二十歳にもなっていなかったろうニキビだらけの女中さん達と遊んだ記憶がある。
 最後は、私が高校生ぐらいの時に今住んでいる世田谷の家に引き取って暮らしていた。
 亡くなった時に、満州の土地の証書や台湾の株券とか紙屑同然の書類が山ほど出てきたのを憶えている。
 三代目のお坊ちゃんだったから、結構おだてられてバンバン買ってたんだろうな。
 残っているのは、今事務所のある高円寺のビルだけだ。
 なので、僕は貧乏です。ww
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 スカイツリーが霞がかかった先に見える。
 東京の西側に住んでいるので、めったに見ない。w
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 我が家のお墓のある、谷中の上野寛永寺は徳川将軍家の墓所としても有名だ。
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 大奥のお局さまとか。。
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 意外と鳥居が多い。
 神仏習合の名残りか?
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 谷中霊園は、寛永寺の墓地と都営の墓地に別れているが。
 実際には、どこからどこまでとかは歩いても分からない。
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 広大な死者の都市が続く。。
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 「トイレの傍らにある・・・」って。。
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 どこまでも続く墓地墓地。
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 最近外人の方も来ると、夕方のテレビで言うとった。
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 花見は来週の週末がピークか。
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 最後の将軍「徳川慶喜」公の墓所があった。
 普通は将軍職にあった人は代々、寛永寺や芝増上寺の「徳川家霊廟」に祭られるのでは?
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Wikipedia 
 朝敵とされた自分を赦免した上、華族の最高位である公爵を親授した明治天皇に感謝の意を示すため、慶喜は自分の葬儀を仏式ではなく神式で行なうよう遺言した。
 このため、慶喜の墓は徳川家菩提寺である増上寺でも寛永寺でもなく、谷中霊園に皇族のそれと同じような円墳が建てられた。
 京都で歴代天皇陵が質素であることを見て感動したためである。
 という事だったのですね。
 休日の散歩も勉強になる。ww
posted by アサノ | 06:10 | 日記 | comments(8) | trackbacks(0) |
コメント
突然のメール申し訳ありません。
10年位前に、小生の父から祖父は白井遠平で実父が三代目近藤利兵衛であることを知らされました。三代目が若くして産ませ養子に出されたようです。どのような顔立ちの人なのか知りたく探しておりましたところ偶然このブログを拝見いたしました。もしお差支えなければ添付ファイルで拝見させて頂ければ幸いです。宜しくお願い申し上げます。
2016/04/28 17:41 by ishii takeshi
こんにちは
シャトーカミヤの展示には若いころの2代目利兵衛の写真がありました。
http://www.ch-kamiya.jp/
昔の人は滅多に写真を撮らなかったので、残っているのか実家に帰った時に探してみます。
私の子どもの頃の記憶では、背の高いダンディな方でした。
2016/04/30 12:55 by アサノ
コメント有難う御座いました。
カミヤシャトーに展示されている2代目は血縁関係はなく、3代目がおられ、その方が白井遠平の子息であるこを最近知りました。もしお差支えなければ3代目のご逝去されたときのお年や家族構成が知りたく、宜しくお願い致します。もし三代目が貴方様に似ておられるのであれば父と面影が似ておられますので、なんとなく3代目が偲ばれます。
2016/05/03 10:49 by ishii takeshi
すいません確認させて下さい。
現在、おいくつでしょうか?
三代目利兵衛の実子は、全て亡くなっており。私の母も88才で3年前に亡くなっています。
また曽祖父である白井遠平も2代目です。
三代目利兵衛には腹違いの子どもが多く。w
その中の短歌を書く叔母が、一族のルーツを探って書いた小冊子があった気がします。
私はまだ高校生で興味が無かったので読んでいませんが。
どこかに残っているか聞いてみます。
2016/05/03 21:04 by アサノ
ご面倒をお掛け申し訳有りません。
小生は73歳になります。実父は多分三代目が養子になる前に生まれ福島に一時預けられ、その後多額の養育費と共に祖父の下に養子に出されたそうです。祖父はその養育費を元に浅草で布団屋を開業いたしました。
貴方様のご年齢と小生の年齢差は不明でありますが、10歳以下くらいの差でありましたら貴方様が高校生の時に同居された年から推察いたし可能性は有るのではないかと思います。
もし、写真、冊子、その他資料が見つかりましたらお声をお掛けくださる様にお願い申し上げます。
小生は高円寺からそう遠くないところに住んでおります。
2016/05/04 10:48 by ishii takeshi
お父上が三代目利兵衛の子どもなのですね。
そうであれば、年齢的にも間違いが無いでしょう。
おしゃられる範囲に入っていますね。
三代目利兵衛は、ほとんど近藤利兵衛商店の本家には居つかづ、愛宕山の妾宅(といっても豪邸)に様々な腹違い種違いの子ども達と住んでいました。
晩年は近藤利兵衛商店から絶縁されて「愛宕山の奥さま」と呼ばれた伊藤せきと二人で高円寺に住んでいました。
その二人の実子(墓を守っている)は三人の娘でしたが、既に全員他界致しました。
長女が私の母です。
2016/05/05 21:34 by アサノ
沢山の情報頂き有難う御座いました。
前回のブログで貴方様のお顔を拝見いたし小生とも基本的なところで似ている様な気が致します。機会がありましたらお目にかかれたらとさえ思いました。 小生も美校を志しましたが父の強い反対にあい工学部に進学し、カメラが好きなこともあり光学精密機器メーカーに就職いたし開発設計部門の管理職で定年退職を向かえ、その後昨年まで、製造会社の顧問及びメカトロ二クス関連の講師をコアに中小企業の生産・品質管理のアドバイザー、理科講師等を続けてきましたが、現在はメカトロニクス講師のみとなり趣味の水彩画とともに何とか日々を充実させております。ちなみに父も絵が上手く子供の時分に絵画コンクールで優勝したそうです。また三代目の弟に近藤七郎という洋画家がいるようです。これは白井家の遺伝子の成せる業なのでしょうか。
余談ではありますが、5月3日青梅大祭にあわせて根岸屋の”カレーうどん”を食してきました。美味でありました。
高円寺のうどん屋えも西荻から遠くないので行ってみるつもりです。
2016/05/08 11:49 by ishii takeshi
少し調べてみました。
http://asanoken.jugem.jp/?eid=3715
現在分かるのはこのくらいでしょうか。
2016/05/10 10:14 by アサノ
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