経験デザインとエスノグラフィを語る私的なブログ
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「藤の実」覚え書き(我が家のルーツを探る)
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 最近、とあることから母方の家系を遡ってみる機会があり。

 姉に頼んで、古い資料を引っ張りだして貰った。

 その中に、短歌を詠んでいた伯母(母の姉)の同人誌がありました。

 

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 伯母は「のじまいさ」と言って、母とは父親が違っていたのですが、一緒に育って来た人で。
 彼女が祖母の死後、その一生を取材しながら書き続けたものがその同人誌に連載されていたのです。
 同人誌の存在は母から聞いていましたが、私はあまりというか全然興味が無かったので今回初めて読んでみた訳です。

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 祖父の三代目近藤利兵衛は、蜂葡萄酒で有名な販売会社近藤利兵衛商店の会長をしていたと思いますが。
 元はいわき市の実業家二代目白井遠平の子どもで、欧米に遊学して大正2年(1913)コロンビア大学経済科を卒業して帰国し、二代目近藤利兵衛の養子になり、養父の死後家督相続し三代目を継いでいました。
 いわき市の出身とは言っても、東京に住んで慶應ボーイだったおぼっちゃんで、相当な艶福家(というか、それしかすることが無いw)人で。

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 祖母はそのお妾さんだった訳ですが、彼女も連れ子が3人いて利兵衛との間にできた実子4人(女3人男1人と他に双子がいたが生まれると同時に死去)と愛宕山の豪邸に住んでいました。
 伯母の書いた中には「おとうさまがいつもはいない。」みたいなことが書かれていたな〜。
 昔の金持ちには普通のことだったようです。

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 最終的には没落して。
 私の母は実子の長女なので、祖父は最後は我が家に引き取って最期を看取りました。
 なので、祖父にもう少し才覚があれば、私も今頃は財界人。ww

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 この同人誌も、昭和50年に始まって年に3刊出す予定だったらしいですが、昭和53年12月の8号で終わってしまい。
 伯母の「藤の実」覚え書きも途中で尻切れトンボのような形になってしまいました。
 伯母が亡くなってから何年経つのかな〜。

 

 

 ◇2代目近藤利兵衛

 ◇初代近藤利兵衛 - ルーツを尋ねて三千里

 ◇私の先祖の話

 ◇谷中・桜木・上野公園裏路地ツアー 近藤利兵衛

posted by アサノ | 06:13 | 日記 | comments(4) | - |
コメント
初めまして。
私のブログで、初代近藤利兵衛様に就いて紹介していますのでよろしければご覧ください。
http://rootsnotabi.blogspot.jp/2018/02/blog-post.html

また、私は初代利兵衛様と同じ地に同じ苗字のルーツを持つ者であり、私もそのルーツを調べたことがあるので、ご興味があればご連絡ください。
2018/02/08 12:31 by 田舎の市民
書き忘れていました。
ご連絡はここのコメント欄でも構いませんし、私のHP右側に記載のあるメールアドレス宛でも構いません。
記事の疑問点などがあればご指摘ください。
2018/02/09 10:22 by 田舎の市民
私は現在、アメリカのテキサスに住んでいますが、ふと亡き父が生前話していた先祖の事を思い出して調べ始めたところです。

私の父方の祖父は東京神田に住んでメリヤス問屋をしていたこと、名前は近藤元、祖母の名前はしづ。父が15歳の時に亡くなり店は倒産。
以前は鉢葡萄酒を販売していたことなどは聞いてます。

しかし、祖父も祖母も父には昔のことはあまり話したがらなかったと聞いていますし、父もまたあまり昔の事を話さなかったため、ほとんどわかりません。

何か情報を頂ければ、と思ってメールさせていただきました。

近藤しのぶ

2022/10/24 00:55 by Shinobu Kondo
こんにちは
人間は、そろそろ晩年を迎えると、自分のルーツなどが気になってくるものなのでしょうか。
そうですね、近藤家は、浅草の神谷伝兵衛が作った蜂葡萄酒を販売する担当でした。最後は、合同酒精に合併されたと聞きます。

https://roots5senzo.hateblo.jp/entry/2019/02/21/163439
2022/10/24 08:58 by アサノ
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