4月01日(水)500日目に手術を受けた。
手術目的は、様々な検査からどうも「骨パジェット病」という、100万人に2.3名というまだ日本でも数百人しか罹っていない難病の疑いがあり、それを確認するための生体検査を行うというものらしい。
今回入院した慶應義塾大学病院整形外科骨・軟部腫瘍班の先生でも、2名が1例ずつしか診たことが無いそうだ。
良性であれば骨パジェット病(充分難病だ)で、悪性なら原発性骨悪性腫瘍(骨肉腫)で人生が変わると伝えられた。。
私の父が膵臓癌で死んだ年齢まであと2年だ、そこまでが自分の寿命でせめて1年は多く生きたいと思っていたが。
意外と父の記録を越えられずに死ぬのかも。
なんだか韓国ドラマ「チャングムの誓い」並みに、次から次へと苦難が押し寄せて来るので呆れる。ww
4月17日(金)には検査結果が出るようだ。
チャングムは母から「悲しんではだめ、泣いてもだめ、簡単に諦めてもいけません」と教わったそうだ。頑張ろう!
手術は無事終わり、術後の経過も良く2日(木)の昼間にはすべてのチューブが外れて、病院食も美味しく頂きました。
生体検査では、右側の骨盤にドリルで穴をあけてサンプルを採ったそうです。
私は麻酔から覚めていなかったので見逃したが、付き添ってくれていた人によると「白いはずの骨が真っ赤だった。」らしい。
そもそもこの病気は、患部で骨代謝の異常な亢進が起きているらしい。昨年夏からの右足の痛みの原因はこれだったのかも?
トイレは個室なのでベッドのすぐ横にあり、最初は数メートルを看護婦さん介助の車椅子で移動していたが、夕方からは自力で行けるようになった。
病院は夜は21時消灯なのだが、個室ならどんな夜中でもiPadでNetflixが観られるのがありがたい。
通常手術後は、夜は痛みで眠れないものだし、トイレも深夜介助して貰って遠いトイレまで行ったり尿瓶や尿道カテーテルを入れたりと、ストレスは沢山ある。
それをお金で少しでも軽減することが出来るなら、個室の差額料金もしょうがないと思おう。
なんだか数日の入院中に、世の中が変わって来たみたいな感じ。
回診に来た先生が「痛みが減ったら退院したいですか?」と言う。
患者に退院の判断を任せるってどういうことだ?と思うが、長く居たい所でも無いので。
「私にはどのくらいの痛みなら退院できるというエビデンスは無いので、傷口を見て先生が大丈夫というなら退院します。」と言ったら大丈夫だという。
ということで、入院予定を3日も繰り上げて退院してきた。
差額ベッド代が助かったと思ったら、外泊の扱いになるとか。
それで患者が「早く退院したいと言った。」ということにしたかったのかも。
◇坐骨神経痛回復日誌
2020年04月:坐骨神経痛回復日誌543日目(全身麻酔と酸素吸入)
2020年04月:坐骨神経痛回復日誌542日目(急遽コロナで退院することに)
2020年04月:坐骨神経痛回復日誌540日目(手術の為に入院しました)
2020年03月:坐骨神経痛回復日誌512日目(急展開 次々と苦難が襲う)
2020年02月:坐骨神経痛回復日誌500日目(若石足つぼマッサージ)
2020年02月:坐骨神経痛回復日誌496日目(ストレッチと好転反応?)
2010年01月:坐骨神経痛回復日誌464日目(スポーツジムとヨガ)
2020年01月:坐骨神経痛回復日誌449日目(もう手立てが無いのか?)
2019年12月:坐骨神経痛回復日誌430日目(神経ブロック注射よりもYouTube)
◇脳震盪後遺症回復日誌
2019年10月:脳震盪後遺症回復日誌366日目(神医者に肩透かしを食う)
2019年09月:脳震盪後遺症回復日誌341日目(坐骨神経痛で歩けない)
2019年08月:脳震盪後遺症回復日誌300日目(侵襲とは)
2019年07月:脳震盪後遺症回復日誌267日目(鍼に行って来た)
2019年06月:脳震盪後遺症回復日誌247日目(食後高血糖を疑う)
2019年05月:脳震盪後遺症回復日誌230日目(症状が固定して来た)
2019年05月:脳震盪後遺症回復日誌204日目(台北で気功治療を受けた)
2019年04月:脳震盪後遺症回復日誌184日目(地獄からの生還)
2019年03月:脳震盪後遺症回復日誌154日目(揺り戻しか)
2019年02月:脳震盪後遺症回復日誌133日目(再び整体へ)
2019年02月:脳震盪後遺症回復日誌126日目(目の回復状況)
2019年02月:脳震盪後遺症回復日誌125日目(紀平梨花 左手薬指亜脱臼)
2019年01月:脳震盪後遺症回復日誌109日目(整体に行ってみた)
◇デパス減薬日誌
2019年01月:デパス減薬日誌100日目(人間ドックに行って来た)
2019年01月:デパス減薬日誌100日目(ひとつの区切り)
2019年01月:デパス減薬日誌88日目(これは脳震盪の後遺症なんじゃないか)
2018年12月:デパス減薬日誌78日目(南の島に行って思ったこと)
2018年12月:デパス減薬日誌63日目(ぶり返した)
2018年11月:デパス減薬日誌48日目(海外出張してきた)
2018年11月:デパス減薬日誌38日目(そうは問屋が卸さなかった)
2018年11月:デパス減薬日誌32日目(うつ病の野良猫はいない)
2018年11月:デパス減薬日誌27日目(運動療法に努める)
2018年10月:デパス減薬日誌18日目(流れに身を任せる)
2018年10月:デパス減薬日誌16日目(三歩進んで二歩下がる)
2018年10月:デパス減薬日誌14日目(光明が見えてきた)
2018年10月:デパス減薬日誌12日目(物忘れが激しすぎる)
2018年10月:デパス減薬日誌10日目(仕事はしてます)
2018年10月:デパス減薬日誌8日目(出張で京都に来た)
2018年10月:デパス減薬日誌5日目(世界はドラッグであふれている)
2018年10月:デパス減薬日誌4日目(離脱症状がつらい)
2018年10月:減薬に変更した
2018年10月:断薬をしようと思ったきっかけ
2018年08月:病再び